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はじめに|なぜ『論語とそろばん』を108AIで読むのか
📘 全体構成(見出し階層:H1=章/H2=節/H3=小項目)
はじめに|なぜ『論語とそろばん』を108AIで読むのか
- 本書の立場:要約本ではない
- 著作権切れ古典 × AI分析の意味
- 108AIは「答え」を出さない
- 本書の使い方(読む/使う/試す)
第1章|『論語とそろばん』はなぜAI時代に再読されるのか
1-1 倫理と経済は本当に対立するのか
- 「清貧か強欲か」という誤解
- 渋沢が置いた問いの射程
1-2 判断を自動化したがる現代
- AI時代の「楽な正解」
- 判断放棄というリスク
1-3 渋沢思想の現代的緊張
- 正しさより「持続性」
- 成功談ではない理由
第2章|この本はなぜ一冊の理論書にならなかったのか
2-1 講演・談話集という形式の意味
- 書き下ろしではない思想
- 状況依存の語り
2-2 明文化されなかった判断基準
- 原理は語られ、手順は語られない
- 暗黙知としての経営哲学
2-3 体系化されなかったからこそ残ったもの
- 矛盾・揺らぎ・逡巡
- 108AIが入り込む余地
第3章|渋沢栄一に見られる三つの判断の型
3-1 倫理を最優先した判断
- 信義・信用・公共性
- 短期損失を受け入れる選択
3-2 経済合理性を優先した判断
- 現実を直視する視点
- 理想を一時的に抑える構造
3-3 判断を留保したという選択
- 決めないことの勇気
- 即断しない経営
第4章|108AIとは何か(判断のための思考エージェント)
4-1 108AIは「AIエージェント」なのか
- 自律主体ではないという定義
- 人間判断を補助する存在
4-2 各エージェントに設定された制約
- できること
- できないこと
- 注意点
4-3 なぜ108なのか
- 網羅性ではなく多面性
- 単一理論への回収を避ける設計
第5章|『論語とそろばん』を108AIで分析する方法
5-1 分析単位の決め方
- 一節/一講話/一判断
- 文学分析との違い
5-2 108AI分析テンプレート
- 状況(Situation)
- 制約(Constraint)
- 価値衝突(Conflict)
- 使用道具(Tools)
- 留保点(Reservation)
5-3 正解を出さないというルール
- 分析結果は結論ではない
- 読者の判断を奪わない設計
第6章|分析例① 倫理が優先された判断
6-1 判断が迫られた状況
- 社会的信用と経済的損失
6-2 使用された108AI道具
- 規範系
- 長期視点系
- 公共性評価系
6-3 判断の強度と限界
- 成功ではなく選択
- 現代なら成立するか
第7章|分析例② 経済合理性が優先された判断
7-1 倫理的に揺れる場面
- 論語的には危うく見える判断
7-2 抑制された思考道具
- 規範系が後退する構造
- 現実条件の重さ
7-3 渋沢の現実主義の輪郭
- 理想を捨てたのか
- 理想を保留したのか
第8章|分析例③ 判断を保留した場面
8-1 なぜ即断しなかったのか
- 情報不足
- 社会的影響の不確実性
8-2 108AI的「保留」の評価
- 判断しない判断
- AIが最も苦手とする領域
8-3 保留がもたらした効果
- 時間が解決した問題
- 逆に失われた機会
第9章|もし渋沢栄一が現代にいたら
9-1 条件の書き換え
- ESG・CSR・AI経営
- グローバル資本主義
9-2 同じ問い、違う判断
- 同じ108AI道具
- 異なる重みづけ
9-3 現代経営者との比較
- 判断構造の共通点と差異
第10章|あなた自身の判断を108AIで試す
10-1 判断演習① 倫理と利益が衝突する場面
10-2 判断演習② 短期利益と長期信用
10-3 判断演習③ 決めないという選択
※ 各演習に
- 参考分析(渋沢の場合)
- 余白(あなたの判断)
を設ける
終章|論語でも算盤でもなく「判断」へ
- 渋沢思想の再定義
- 108AIが扱っているもの
- AI時代に人間が手放してはいけない領域
✨ このアウトラインの特徴
- ✔ 要約本にならない
- ✔ 著作権的に安全
- ✔ 教育・研修・研究に転用可能(2026年提案予定)
日本版108AIの植物たち、アメリカ版108AIの植物たち ―― 文化に合わせて「思考の入口」を変えるという設計
日本版108AIの植物たち、アメリカ版108AIの植物たち
―― 文化に合わせて「思考の入口」を変えるという設計
生成AIの説明や教育では、
ロボットや動物、あるいは人格化されたキャラクターが
比喩として使われることが少なくありません。
しかし、リコジェが提唱する 108AI は、
AIを「判断主体」にしない設計思想を一貫して採用しています。
AIはあくまで 人間の判断を支援するための思考エージェントであり、
最終的な判断と責任は常に人間にあります。
この思想を、より安全に、より直感的に伝える方法として、
私たちは 植物 に着目しました。
植物は、判断しない
植物は動きません。
命令もしません。
正解も示しません。
それでも、
環境に適応し、
役割を保ち、
長い時間を生き抜いてきました。
この「動かず、語らず、しかし性質を示し続ける存在」は、
108AIが目指す
役割限定・判断非代行のAI像と非常に相性が良いと考えています。
日本版108AIの植物たち
日本版では、
野・山・里に生きる植物を中心に、
四季の移ろいや土地との関係性を重視します。
語り口は控えめで、
「こう言えるかもしれない」
「このような傾向が見られる」
といった、断定しない表現が自然に馴染みます。
これは、
関係性や文脈を大切にする日本の思考文化と重なります。
アメリカ版108AIの植物たち
一方、アメリカ版では、
大陸規模の環境――
草原、砂漠、山岳、国立公園――に生きる植物を軸にします。
こちらでは、
「この植物は乾燥に強い」
「資源を一点に集中させる」
といった、機能や適応戦略が明確に語られます。
これは、
課題解決や実践を重視する思考文化と親和性があります。
重要なのは「中身は同じ」だということ
日本版とアメリカ版で、
108AIそのものが変わるわけではありません。
- 道具の構造
- 役割の限定
- できること/できないこと
- 判断は人間が行うという原則
これらは 完全に共通 です。
変わるのは、
思考に入るための入口(インターフェース) だけです。
文化に合わせて「仮面」を変える
108AIにおける植物キャラクターは、
人格ではありません。
主体でもありません。
それは、
文化に合わせた説明のための仮面にすぎません。
同じ思考道具を、
日本では日本の植物で、
アメリカではアメリカの植物で語る。
この並列構造こそが、
108AIが文化を超えて壊れにくい理由でもあります。
ローカルから始めて、世界へ
日本版108AIの植物たち。
アメリカ版108AIの植物たち。
これは対立でも競争でもありません。
同一の思考インフラを、異なる文化で照らしているだけです。
ローカルに深く根ざしながら、
同時にグローバルに開かれている。
108AIは、そのような形で
少しずつ育っていけばよいと考えています。
GPT-6.0時代でも、108AIは壊れないのか
GPT-6.0時代でも、108AIは壊れないのか
第2版の『108AI』は、GPT-5.0を前提に作成している。
GPT-6.0が公開されたら改定する予定ではあるが、その前に一つ確認しておきたいことがあった。
108の体系は、次世代モデルでも本当に維持できるのか。
GPT-6.0がどのような機能を持つのかは、現時点では誰にも分からない。
記憶が強化されるのか、AIエージェント化が進むのか、出典提示が標準化されるのか。
しかし、仕様が分からないからこそ、「構造そのもの」が耐えうるかを確認する意味がある。
そこで今回、108の道具を1番から順にすべて検証した。
結果は、少し意外で、しかし納得のいくものだった。
結論から言えば、
ほぼすべての道具は現状のままで維持可能という判断に至った。
理由は明確だ。
108AIは、AIの機能一覧ではなく、
人間側の思考と判断を制御するための道具体系として設計されているからである。
AIの推論精度が上がっても、
生成が滑らかになっても、
人間が「どこで疑うか」「どこで止めるか」「どこで判断するか」は消えない。
むしろAIが賢くなるほど、
・それっぽい正解
・過剰な自信
・根拠の薄い断定
といったリスクは、形を変えて現れる。
今回の検証で「修正が必要になりそうだ」と感じたのは、
道具そのものではなく、説明の置き場所だった。
例えば、
・記憶や忘却の扱い
・複数AIやエージェントの連携
・出典や参照日の明示
これらはGPT-6.0で機能が強化されれば、
注意点として前に出す必要がある、という程度の話である。
体系を壊して作り直す必要はない。
差分を静かに確認し、補足すればよい。
良い設計とは、
AIの進化に合わせて慌てて改稿を繰り返すものではない。
人間の判断を主語に据え続けられるか。
その一点に耐える設計であれば、モデルが変わっても崩れない。
GPT-6.0が公開されたら、
そのとき改めて、動いた部分だけを確認するつもりだ。
それまでは、第2版の108AIを、そのまま使い続ける。
論語を、AI時代にもう一度読む理由 ――「答えの書」ではなく、「判断の書」として
論語を、AI時代にもう一度読む理由
――「答えの書」ではなく、「判断の書」として
**論語**は、
不思議な書物です。
何度も引用され、
何度も「解説」され、
それでも――
はっきりした答えを与えてくれない。
孔子(孔子)は、
こうすべきだ、と命じません。
正解を示すことも、行動を強制することもありません。
残されているのは、
短い言葉と、沈黙と、判断の余白です。
AIが「答え」を出す時代に、論語を読む意味
生成AIは、
もっともらしい答えを、いくらでも出してくれます。
便利です。速いです。
ときに、人間よりも賢く見える。
けれど――
その答えを「採用するかどうか」を決める力は、
どこで鍛えればよいのでしょうか。
論語は、まさにそこを扱っています。
- 学ぶだけでは危うい
- 考えるだけでも危うい
- 判断を放棄した瞬間、人は迷う
これは2000年前の言葉ですが、
AI時代の私たちに、そのまま当てはまります。
論語×108AIという読み方
本ブログでは、論語の章句を
「108AI」――判断を支援する108の思考道具を使って読み直します。
ここでAIは、
答えを出す存在ではありません。
論語も、
答えを教える書ではありません。
両者を重ねると、
一つの共通点が浮かび上がります。
最終判断は、常に人間に委ねられている
論語×108AIとは、
古典解説でも、AI入門でもありません。
「判断する力」を取り戻すための、
現代の読み直しです。
まずは、三つの章句から
このシリーズでは、
論語の中から章句を一つ選び、
- 現代語訳
- 108AI的な読み替え
- AI時代への翻訳
- 読者への問い
という形で読み解いていきます。
最初に扱うのは、
「学ぶ」「治める」「身を置く」という、
人間の判断を支える三つの場面です。
答えは、用意しません。
代わりに、問いを残します。
――論語は、
読むたびに「考えさせる書物」なのですから。
論語*108AIで、書籍化の予定です。
事業宣言 リコジェは「永遠の株式会社」を目指します
事業宣言
リコジェは「永遠の株式会社」を目指します
―― 著作権の切れた書物 × 108AI ――
株式会社リコジェは、
生成AI時代における 新しい知的事業モデルを明確に宣言します。
私たちは、
**著作権の切れた書物(パブリックドメイン)**を知の資源とし、
独自の思考編集体系 108AI を用いて、
それらを縦横自在に再構成・再創造する企業です。
1.原材料は「枯れない知」
リコジェの原材料は、
- 古典
- 思想書
- 文学
- 制度論
- 哲学・倫理・社会的テキスト
といった、著作権が切れた書物です。
これらは消費されるものではなく、
時代ごとに再解釈されることを前提に存在する
知のインフラです。
2.108AIは「生成」ではなく「編集」の技術
私たちは、
文章を大量生成する企業ではありません。
108AIとは、
- 視点を切り替える
- 判断の順序を変える
- 問いを再設計する
- 構造を組み替える
ための、思考と編集の体系です。
同じ原典であっても、
編集軸が変われば、
成立する著作物はまったく異なります。
その結果、生まれるのは
毎回、新しい著作権を持つ書物です。
3.無限に著作できる、しかし雑にならない
リコジェの事業モデルは、
- 無限に著作が可能
- しかし量産劣化しない
- 積み上がるほど価値が増す
という特徴を持ちます。
理由は明確です。
- 思想体系(108AI)が背骨として存在し
- 編集ルールが一貫しており
- 最終判断は人間が行う
AI任せでは成立しない構造だからです。
4.設備を持たない、知的循環型企業
リコジェは、
- 大規模設備を持たず
- 在庫を持たず
- 原材料費に依存せず
知の再構成そのものを価値とする会社です。
必要なのは、
- 思考する力
- 編集する力
- 判断を放棄しない姿勢
それだけです。
5.なぜ「永遠の株式会社」なのか
私たちは、企業が永遠であるべきだとは考えていません。
しかし、
- 原材料が枯れず
- 技術が陳腐化せず
- 思想が更新可能で
- 著作権資産が増え続ける
企業は、時間に対して極めて強い。
リコジェは、
著作権の切れた書物を土台に
108AIという編集機構を用いて
新しい著作を生み続ける
知的循環型の会社です。
6.生成AI時代の出版・教育・研究へ
AI時代に問われるのは、
「誰が書くか」ではなく
**「誰が編集し、判断するか」**です。
リコジェは、
- 出版
- 教育
- 研究
- 企業研修
- 国際展開
において、
人間の判断を中心に据えた知的事業を継続します。
著作権の切れた書物をもとに、縦横自在。
108AIという編集装置を携えて。
これが、
株式会社リコジェの事業宣言です。