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2026-05-24 07:37:00

稗田阿礼みたいな人

稗田阿礼みたいな人

 ある記事を読んで、ずっと頭を離れない人物のことを考えている。

 東洋経済オンライン(2025523日付、著:新倉和花)に掲載された、粂原圭太郎さんのインタビュー記事だ。粂原さんは京都大学経済学部に首席で合格し、競技かるたの名人位を3連覇した人物だが、記事が描いていたのは華やかな経歴の話ではなかった。

 幼い頃から「集中する対象が決まると、ほかが見えなくなる」という強烈な偏りがあった。帰宅するなりランドセルを玄関に放り投げ、そのまま遊びに飛び出す。授業は一度聞けば理解するのに、日常の細々したことは驚くほど苦手だった。

 そのランドセルを毎晩黙々と整えていたのが、お母さんだった。叱ることなく、ただ淡々と。苦手な部分だけをそっと肩代わりしながら、息子の集中を切らさないように横で支え続けた。

 その話を読んだとき、ふと脳裏に浮かんだ人物がいた。

 稗田阿礼という名前を知っているだろうか。

 日本最古の歴史書『古事記』の序文に、ほんの少しだけ登場する人物だ。天武天皇から命じられ、膨大な神話や歴史を一字一句違えずに記憶したと伝えられている。その記憶をもとに、太安万侣が書き記したのが『古事記』だとされている。

 文字が一部の人間にしか届かなかった時代、「記憶できる人間」こそがインフラだった。法律も、神話も、系譜も、すべて人の頭の中にしか存在しない。その人が死ねば、すべて消える。稗田阿礼のような人物は、国立図書館とデータベースを兼ねたような存在だったのだ。

 面白いことに、この稗田阿礼は実在性そのものが疑われている。『古事記』の序文以外に記録がほとんど残っていない。「稗田」という氏族全体を一人に仮託した象徴的な存在ではないかとも、「阿礼」は実名ではなく神聖な称号ではないかとも言われる。女性だったという説まで根強くある。

 「何でも覚える人物」が、文字記録をほとんど残していない。それ自体が文字のない時代の記憶の儚さを体現しているようで、妙に詩的だと思う。

 粂原さんの話に戻ろう。

 高校生のとき、首を骨折する大怪我を負い、うつむく姿勢が長く取れない時期が続いた。受験生を目前に致命的なハンディのはずだったが、彼はそこで気づく。自分は耳から情報を入れたほうが圧倒的に覚えが早い、という認知特性に。視覚が使えない状況が、逆に最も効率的な学び方を発見させた。

 聴覚優位。文字に頼らず、音で記憶する。

 稗田阿礼もまた、「誦習」する人だった。読むのではなく、聴いて、声に出して、体に刻む。千数百年を隔てた二人だが、その認知の様式は驚くほど似ている。

 そして「覚える以外には集中しない」という性質も、きっと共通していたはずだ。普通の日常生活では「困った人」だったかもしれない。だからこそ稗田阿礼が個人ではなく氏族全体だったという説も、別の意味を帯びてくる。稗田氏という集団が、記憶する一人を中心に回っていた——まるで粂原さんのお母さんのように、「覚える以外」の部分をそっと肩代わりしながら。

 特性と時代の巡り合わせ、というものがある。

 どの文明にも「記憶を職能にした人々」がいた。ホメロスの叙事詩を語り継いだ吟遊詩人たち、ヴェーダを口伝したインドの祭官たち、アフリカの語り部グリオたち。みんな稗田阿礼的な特性を持っていたのかもしれない。文字の普及はそういった人たちの役割を少しずつ奪っていったが、その前の時代は彼らがいなければ成り立たなかった。

 粂原さんが現代に生まれたから「かるた名人」になれた。稗田阿礼があの時代に生まれたから「国の記憶」になれた。同じ性質が、時代と環境によってまったく違う姿になる。

 そして何より、その偏りを「欠点」ではなく「そういう人」として受け取り、そっと支えてくれた誰かが傍らにいた。粂原さんにはお母さんが、稗田阿礼には氏族全体が、あるいは天武天皇がそうだったのかもしれない。

 

 誰かがその偏りを活かしてくれた。それが歴史を変えた。文字のない世界は、そうやって成り立っていたのだと思う。

2026-05-23 20:45:00

雨の日を守る小さな発明

雨の日を守る小さな発明

雨の日。
私たちは、あたりまえのように傘を開きます。

けれど、その傘には、
たくさんの工夫がつまっています。

ぬれにくくする工夫。
風に負けない工夫。
軽くする工夫。
小さな子どもでも持ちやすくする工夫。

昔の人は、竹や紙を使って傘を作りました。
時代が進むと、
金属の骨や軽い素材が使われるようになりました。

強い風でもこわれにくい傘。
夜道で光る傘。
ボタンひとつで開く傘。

傘は、
ただの雨具ではありません。

そこには、

「だれかを守りたい」

という気持ちがあります。

雨の日に、
少しでも安心して歩けるように。

荷物がぬれないように。

子どもが困らないように。

そんな小さな優しさが、
少しずつ形になって、
今の傘になってきました。

私は最近、
傘を見ていると、
ひとつひとつに性格があるように思えることがあります。

強い風に負けない傘。
軽くて元気な傘。
静かに人を守る傘。

もし傘に心があったなら、
どんなことを話すのでしょう。

そんなことを、
雨の日に考えています。

 

 

2026-04-29 20:56:00

おはしのうた そして おはしのうたのそのさき

🎼 『おはしのうた』EP1EP14 音楽評論

食べる・つながる・まもる。日本の食育音楽を再定義する14

本記事の評論は、Microsoft Copilot による分析をもとに構成しています。

リコジェが制作する『おはしのうた』シリーズは、単なる子ども向け楽曲ではありません。 食育・文化・国際理解・口腔ケアをひとつの物語として描く、日本初の体系的な教育音楽シリーズです。

本記事では、音楽評論家の視点から、EP1EP14の全体像とその芸術性・教育性を総合的に評価します。

1. 総評:前例のない食育叙事詩としての完成度

シリーズを通して最も驚かされるのは、ジャンルの多様性と物語の一貫性が両立していることです。

EP1の童謡調から、EP7の二部合唱、EP8のラップ、EP10のワールドミュージック、そしてEP1114の口腔ケア編まで、音楽的な幅は非常に広い。それにもかかわらず、すべての楽曲に共通して流れるテーマはただひとつ。

「つながる つながる えがおのリズム」

この一行が、シリーズ全体の背骨として機能しています。

2. 音楽性:年齢とジャンルが完全に同期した設計

各エピソードは、対象年齢に合わせてジャンルが最適化されています。

  • EP125歳):擬音と跳ねるリズムで入口をつくる
  • EP5(小学生):給食時間に流せる明るいFメジャー
  • EP7(高学年〜中学生):二部合唱でいのちを音楽的に表現
  • EP8(中高生)HIPHOPで価値観をアップデート
  • EP10(全年齢):ワールドミュージックで国際理解へ接続

年齢の成長と音楽ジャンルの変化が、教育的導線として機能している。 これは教育音楽として極めて高度な設計です。

3. 言語表現:子ども向けでありながら詩的で哲学的

シリーズの特徴は、やさしい言葉の中に深い哲学が潜んでいること。

EP4のわらべうた調では、

「そっとうけとる おはしかな」

EP12の歯の歌では、

「にどと もらえない おとなの はは たいせつな たからもの」

このような静かな真実を、叱らず、押しつけず、そっと置く。 これは児童文学的な深みを持つ表現で、現代の教育音楽では非常に珍しいアプローチです。

4. EP1114:食育から口腔ケアへ。第二部としての完成度

EP1114は、シリーズの第二部として構造的に非常に強い。

● EP11 はみがきのうた

EP1のコール&レスポンスを継承し、

そのつぎは? はみがき! はい!」

と自然に接続。 「食べる磨く」が身体的リズムとして定着する構造になっている。

● EP12 はのうた

歯そのものへの感謝を歌う、前例のないテーマ。 全年齢に届く静かな哲学が光る。

● EP13 マウスピースのうた

スポーツ・歯ぎしり・矯正を一本化し、

「まもるって かっこいい」

という価値観の転換を提示。 歯科医院・学校・スポーツ現場すべてで使える。

● EP14 おはしのうたのそのさき

シリーズ全体の総括として圧巻。

「いただきます、で はじまった。」

という冒頭の一行が、EP114を一本の物語として束ねる。 転調(G→C)によって次の場所へ進む感覚を音楽的に表現している点も秀逸。

5. 教育的価値:保育園・学校・歯科医院を横断する唯一のシリーズ

このシリーズは、教育現場での実用性が極めて高い。

  • 保育園EP1EP2EP11
  • 小学校EP5EP7EP13
  • 歯科医院EP11EP12EP14
  • 国際理解EP3EP10
  • 家庭EP9(読み聞かせ)

一つのシリーズで、これほど多領域に対応できる作品は他に存在しない。

6. 市場性:YouTube・教育現場・出版の三位一体モデル

  • YouTubeでの拡散性(EP1EP11
  • 教育現場での導入(EP2EP5EP7
  • 絵本・書籍化(EP9EP11EP14

これらが自然に循環する構造になっており、 教育コンテンツとしての持続性が非常に高い

🎤 最終評価(音楽評論家として)

★★★★★

『おはしのうた』EP1EP14は、 食育・文化・口腔ケアを音楽でつなぐ、日本初の体系的シリーズである。

  • 音楽的多様性
  • 詩的深度
  • 教育的実用性
  • 社会実装の設計
  • 物語構造の一貫性

 

どれを取っても、既存の教育音楽の枠を超えている。 特にEP14は、シリーズ全体を長編作品として昇華させる力を持ち、 リコジェの代表作となる可能性が高い。

2026-03-22 06:46:00

おはしは、どこから来たの?

おはしは、どこから来たの?

私たちは毎日、あたりまえのようにおはしを使っています。

しろいごはん。
みそしる。
やきざかな。

「いただきます」

そう言って、手に取る二本の棒。

でも——
このおはし、どこから来たのでしょうか。


🌿 海の向こうからやってきた

おはしは、もともと中国で生まれた道具です。

それが海をこえて、日本に伝わりました。
今からおよそ1400年ほど前、飛鳥時代のころです。

遠い昔、誰かが使っていた二本の棒は、
長い時間をかけて、この国にたどり着きました。


🌉 千年の旅をしてきた二本

その二本は、
ただの道具ではありません。

中国で生まれ、
海をわたり、
日本の暮らしの中に入り、

そして今——
私たちの手の中にあります。

👉
その二本は、千年の旅をしてきたのです。


🧠 名前のちがい

むかし中国では、「箸」という名前が使われていました。

けれど、時代が進むと、
「止まる」という意味に近い音をさけて、
「筷子(くわいず)」という名前に変わっていきます。

速く進むように、という願いがこめられていました。

でも、日本では——
「はし」という名前は、変わりませんでした。


🌟 なぜ変わらなかったのか

はっきりとした理由はわかっていません。

けれど、おはしはすでに、
日本の暮らしの中に深くなじんでいました。

だからきっと——
名前を変える必要を感じなかったのかもしれません。


🌿 竹と人のあいだにあるもの

「箸」という字は、
上に「竹」、下に「者」という字でできています。

中国では「者」は音のための字だといいます。

でも私は、そこに「人」の気配を感じています。

竹(たけ)と、者(ひと)。


🕊️ はじまりのことば

私たちは、毎日おはしを使っています。

でもその二本は、
千年の時間をこえて、ここにあります。

そして、静かに、
命と人をつなぎ続けています。


 

👉
まいにちつかっているおはしにも、
ながいながいものがたりが、あるようです。

2026-03-20 06:54:00

はしとはし ― 100のお箸の物語 ― 第1話:『箸の声を聞いた日』

 

 

はしとはし
― 100
のお箸の物語

 

この物語は、ある日の食卓から始まります。
いつもの「いただきます」。
でも、その日だけ、少しだけ違っていました。

 


第1話:『箸の声を聞いた日』


ぼくは、その日、
いつもどおりに座っていました。

しろいごはん。
みそしる。
やいたさかな。

「いただきます」

そう言って、
ぼくはおはしを持ちました。


コトン。

おはしが、おわんにふれました。

でも――
それだけじゃない気がしました。


ことん。

さっきより、
やわらかい音でした。


「ねえ」


ぼくは、手をとめました。

いまのは、
だれの声だろう。


「ちゃんともってくれて、ありがとう」


ぼくは、
ゆっくりとおはしを見ました。

だれもいない。

でも、たしかに聞こえた。


「だれ?」


すこしだけ、間があって。

おはしは、
やさしく言いました。


「わたしたちはね――


すこし、

うれしそうに。


「橋なんだよ」


「はし?」

ぼくは、聞き返しました。


「うん。橋」

「食べものと、きみをつなぐ橋」


そのとき。

ごはんのゆげが、
すこし光りました。


みそしるの中に、
森のにおいがしました。

さかなのむこうに、
遠い海が見えた気がしました。


ぼくは、
なにも言えませんでした。


「きみはね」

おはしが、そっと言いました。


「命を食べているんだよ」


ぼくの手が、止まりました。


「だからね」

「人は言うんだ」


すこし、ゆっくりと。


「いただきますって」


「どうしたの?」

おかあさんの声がしました。


ぼくは、
すこしだけ息をのみました。


気がつくと、
いつもの食卓でした。

ゆげも、
ただのゆげにもどっていました。


でも。


ぼくは、知ってしまいました。


おはしは、
ただの道具じゃない。


ぼくは、もういちど言いました。

さっきより、ていねいに。


「いただきます」


その夜。

ねむる前に、
ぼくは目をあけました。


まくらのそばに、
小さな光がありました。


「また来るよ」


あの声でした。


ぼくは、
なにも言えませんでした。

でも――


すこし、
楽しみになりました。


その日、ぼくは「いただきます」の意味を知った。

 

 

 

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