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新年あけましておめでとうございます。2026年のはじめに、現在考えていることを、ひとつ書き留めておきます。
生成AIについて考えていると、
技術そのものよりも、
次の問いに立ち返ることが増えました。
その判断は、どこで、誰によって行われているのか。
AIは、
情報を集め、整理し、候補を並べることが得意です。
しかし、その結果をどう受け取り、
どこで立ち止まり、
何を選び、何を選ばないかは、
今も人間の側に残されています。
アマリオスは、
この「判断が生まれる直前と直後」に
そっと目を向けるための考え方です。
答えを出すための仕組みではありません。
正しさを決める枠組みでもありません。
判断を代行する存在でもありません。
ただ、
人が判断しているという事実そのものを、
見失わないための立ち位置です。
最近は、
この立ち位置が、
仕事や教育といった場面だけでなく、
もっと日常的で、
もっと私的なところにも
関係しているのではないかと感じています。
私たちは日々、
大小さまざまな判断をしています。
その多くは、
意識されることなく通り過ぎていきます。
けれども、
「なぜそう考えたのか」
「どんな前提が働いていたのか」
「別の見方はあり得たのか」
そうした問いを、
あとから静かに振り返れる余地があるだけで、
判断の質は、少し変わるのではないか。
アマリオスが用意しようとしているのは、
何かを決めるための仕組みではなく、
決めてしまう前後を、丁寧に扱うための余白です。
それが、
どんな形で使われるのか。
どこまで広がるのか。
あるいは、広がらないまま終わるのか。
今のところ、
そこまでを定めるつもりはありません。
ただ、
判断を急がないこと。
答えに飛びつかないこと。
それでも、考えることをやめないこと。
その態度自体には、
名前を与えておいてもよいのではないか。
そう考えています。
アマリオスは、
完成した何かではなく、
思索の途中に置かれた
ひとつの標識のようなものです。
2026年のはじめに、
いまの時点での考えを、
ここに記しておきます。