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卑弥呼の統治をマダガスカルの19世紀の女王の統治から考察する
卑弥呼の統治をマダガスカルの19世紀の女王の統治から考察する
―EPIKIA物語構想のための比較試論―
本稿は創作物『EPIKIA』の構想過程で得られた文化的洞察をまとめた随想である。
三世紀の邪馬台国を統べた卑弥呼は、『魏志倭人伝』に「鬼道をもって衆を惑わす」と記される。
それは単なる呪術や迷信ではなく、宗教的権威を通じて人々を結び、社会秩序を築いた形であったと考えられる。
その統治の姿は、十九世紀のマダガスカルに現れた女王ラナヴァルナ一世(Ranavalona I)の統治とも、不思議な共鳴を見せる。
【祈りと秩序の政治】
ラナヴァルナ一世は、変動する時代のなかで、自国の信仰と独立を守ろうとした女王であった。
彼女は祖霊への祈りを国の中心に据え、祖先と大地への敬意を政治と結びつけた。
マダガスカルの王都アンタナナリボでは、祭祀や占い、儀礼が国の意思決定と深く関わり、人々は自然と祖霊を通して世界の秩序を理解した。
その統治は、力ではなく「祈りと調和」によって国を支える試みでもあった。
卑弥呼の統治もまた、外からの影響と内の結束の間で揺れながら、霊的な秩序を保つものであった。
倭国が多くの小国に分かれていた時代、卑弥呼は鬼道と祭祀によって人々の心を一つにまとめた。
彼女は姿をあらわさず、神意を言葉に変える巫女として国を導いた。
政治の力ではなく、精神の中心として存在した点において、ラナヴァルナと共通する女王像が浮かび上がる。
【島の知恵としての統治】
両者の統治は、「島の知恵」とも言える。
外の世界から新しい文化や思想が流れ込むなかで、島の女王は自らの根を失わずに変化と向き合った。
マダガスカルも倭国も、海に囲まれた土地であるがゆえに、外からの影響を受けながらも、自国の信仰と世界観を守りぬこうとした。
そのために、王権は単なる支配ではなく、祈りの中心として存在したのである。
卑弥呼とラナヴァルナの統治は、どちらも「恐れによる統治」ではなく、「精神の秩序による統治」であった。
それは、民の心に根ざした信仰と、共同体を守るための深い責任感に支えられていた。
彼女たちの治世には、自然と神と人の調和を保とうとする意志が流れている。
【創作の糸口として】
この小論は学術研究ではなく、EPIKIA物語を構想するなかで、世界の女王たちを調べていた際に、
マダガスカルの女王が近代にも精神的統治を行っていたことを知り、卑弥呼との比較を試みた素人の発想による考察である。
それぞれの文化と時代における「女王の知恵」に敬意をこめて、創作の糸口として記したものである。
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© 2025 RICOJE
文・白石光男