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2025-12-31 04:34:00

はじめに ――測る者たちのための舞台としての邪馬台国

はじめに

――測る者たちのための舞台としての邪馬台国

本書の目的は、邪馬台国の所在地を特定することではない。
それを期待して本書を手に取った読者がいるとすれば、最初にその誤解を解いておきたい。

本書が描こうとしているのは、
人はどのように距離を測り、時間を数え、土地を理解してきたのか
という、人間の営みそのものだからである。

邪馬台国論争は、その営みを浮かび上がらせるための
最も適した舞台装置にすぎない。

魏志倭人伝には、里数と日数が混在し、
水行と陸行が入り交じる不可思議な行程記録が残されている。
それはしばしば「不正確」「矛盾」「誇張」と評されてきた。
しかし本当にそうだろうか。

もし私たちが、その記録を
地理の教科書としてではなく、
使節団の行動を管理するための測定ログとして読んだなら、
見えてくる風景はまったく異なる。

距離とは、歩いた痕跡であり、
日数とは、補給と威信の単位であり、
記録とは、次に来る者への引き継ぎである。

本書に登場する「測る者たち」――
国土を歩き、海を渡り、境界を定め、
地図と記録を未来に残した人々は、
邪馬台国を当てに行く存在ではない。

彼らが向き合っていたのは、
「どこにあるか」ではなく、
**
「どう測るか」「どう残すか」**という問いであった。

邪馬台国論争がこれほど長く続いているのは、
古代の人々が不誠実だったからではない。
むしろその逆である。
誠実に測り、誠実に記したからこそ、
私たちは今も測り直すことができる。

測ることは、正解を独占することではない。
測ることは、誤差を含んだまま、
次の世代に問いを渡すことである。

本書は、邪馬台国の答えを示す本ではない。
測り続ける人間の姿を描く本である。

 

そのために、邪馬台国という舞台が用意された。
主役は、あくまで――測る者たちである。

 

部 測るという営み

 

――距離・時間・国家は、どのように生まれたのか

4

1 測るとは、責任を引き受けること

測るとは、支配するための行為ではない。
測るとは、責任を引き受けるための行為である。

距離を測ることは、移動の困難を引き受けることだ。
時間を測ることは、約束と期限を引き受けることだ。
土地を測ることは、境界の不確かさを引き受けることだ。

測られた瞬間、世界は曖昧さを失う。
その代わりに、人は説明責任を負う。
国家が生まれる以前から、測量は制度の萌芽だった。


2 四人の測る者たち

本書が呼び出すのは、時代も立場も異なる四人である。

  • 伊能忠敬
    星と歩測によって日本列島を実測し、誤差を恐れず地図に刻んだ。
    測量とは、後世に耐える公共財をつくる仕事だと示した。
  • 間宮林蔵
    未踏の極北を踏破し、境界の所在を実地で確かめた。
    測るとは、未知を未知のまま放置しない決断であった。
  • 小野友五郎
    大洋を渡り、潮流と風向を読み、実務としての測量を完成させた。
    測るとは、生死を分ける判断の連続であった。
  • 松浦武四郎
    蝦夷地を歩き、地理とともに人の暮らしを記した。
    測ることと記すことが不可分であると教えた。

彼らは答えを断定するために測ったのではない。
次に測り直せるように測ったのである。


3 歩測という、人間のセンサー

測量の原点は驚くほど素朴だ。
それは「歩く」ことである。

歩測は、人間を計測器に変える技術だ。
訓練された歩幅は、時代を超えて安定する。
だから古文献に残る距離は、軽々に誤りと切り捨てられない。

歩いた距離は、身体に刻まれる。
その痕跡が、数字となって残る。
測る者たちは、自分の身体を通して世界を記録してきた。


4 測量家の目で記録を読む

『魏志倭人伝』は、物語ではない。
それは行程の記録であり、行動の管理表である。

里数と日数が混在するのは、混乱の証ではない。
異なる管理単位が併用されているだけだ。

距離は歩測で刻まれ、
日数は補給と威信の単位として管理される。
測量家の目で見れば、記録は秩序を帯びる。


5 舞台装置としての邪馬台国

ここで邪馬台国が現れる。
それは結論ではない。舞台である

正解が確定しないからこそ、
測り方の違いが露わになる。
誤差が、制度や思想を浮かび上がらせる。

邪馬台国論争は、
測る・記す・読む・掘るという営みが
同時に現れる、稀有な舞台装置なのだ。


6 測ることは、つなぐこと

測量は、過去を現在へつなぐ。
記録は、現在を未来へつなぐ。

誤差は失敗ではない。
誤差があるから、更新できる。

 

測る者たちは、正解を独占しなかった。
問いを残した。
だから私たちは、今も測り続けられる。

 

部 魏志倭人伝という〈測定ログ〉

 

――記された距離と日数は、何を管理していたのか

1 史書ではなく、行程記録として読む

魏志倭人伝』は、文学でも伝説集でもない。
それは、魏の朝廷が倭国との外交を管理するために残した行程記録である。

そこに記されているのは、感想や物語ではない。
距離、日数、方向、国名、戸数――
すべてが「移動と統治」に必要な情報で占められている。

にもかかわらず、この記録は長らく「不正確な地理文献」として扱われてきた。
理由は明白だ。
現代の地図感覚で読まれてきたからである。


2 距離と日数が混在する理由

魏志倭人伝には、奇妙な特徴がある。
○○里」という距離表記と、「水行十日」「陸行一月」という日数表記が、同一文脈に並んでいるのだ。

これは混乱ではない。
管理単位が違う情報が併記されているのである。

  • 里数:歩測・航程による空間ログ
  • 日数:補給・示威・儀礼を含む行動ログ

測量家の目で見れば、これはむしろ合理的だ。
実距離と同時に、「どの程度の準備で到達できるか」を示す必要があったからである。


3 短里という身体スケール

魏志倭人伝に記された距離が過大に見える最大の原因は、
「一里」の長さを後世の基準で読んできたことにある。

測量の実務に即して考えるなら、
この記録で用いられた里は、約7080メートル前後の短里であった可能性が高い。

短里は、身体感覚と相性がよい。
歩測を基本とする移動では、細かな単位の方が誤差を管理しやすい。
小数点を持たない時代において、短里は合理的な測定単位だった。

重要なのは、
この短里仮定を置くと、九州北部の地理感覚と記録が急に整合し始める点である。


4 日数とは、距離ではない

「水行十日」「陸行一月」という表現は、
しばしば距離換算の対象にされてきた。

しかし、測る者の視点では、
これは距離ではなく、行動計画の枠である。

  • 何日分の兵糧で動けるか
  • どの程度の規模の行列になるか
  • どれほど威信を示す必要があるか

特に「陸行一月」という表現は、
険しい内陸路を、儀礼と警護を伴って進むことを意味していた可能性が高い。

つまり日数とは、
距離の代替指標ではなく、国家行動の単位だった。


5 分岐点としての末蘆国

魏志倭人伝の行程には、決定的な特徴がある。
それは、ある地点で記述の性質が変わることだ。

対馬、壱岐を経て到達する**末蘆国**
ここを境に、行程は単なる沿岸航行から、
陸路と内陸政治の領域へと移行する。

末蘆国は、玄関口であり、分岐点であり、再編点である。
この構造は偶然ではない。

魏の使節団は、
ここから先を「別の管理モード」で扱った。
それが、距離から日数への比重移行として記録に現れている。


6 なぜ、この記録は舞台になり得たのか

魏志倭人伝は、完全ではない。
だが、欠落していない。

むしろ重要なのは、
誠実に測られ、誠実に記されたがゆえに、
解釈の余地が残された
という点である。

だからこそ、この記録は二千年後も読み直される。
だからこそ、邪馬台国論争という舞台が成立する。

 

この論争は、
古代の誤りを暴く場ではない。
人間がどのように世界を測ろうとしたかを、再演する場なのである。

 

部 末蘆国分岐という国家戦略

 

――海路と陸路、二極が同時に動いた理由

1 分岐は偶然ではない

魏志倭人伝の行程を丹念に追うと、
**
末蘆国**を境に、記述の性格が明確に変わる。

それ以前は沿岸航行の連続であり、
それ以後は陸行・日数・統治単位の話になる。

この転換は、地理的必然ではない。
国家行動としての必然である。

使節団は、末蘆国で止まり、整え、分けた。
ここが「入口」であり、「司令点」だったからだ。


2 二つの進路、二つの役割

末蘆国以降、行程は二方向へ展開する。

  • 海路で南へ――投馬国
  • 陸路で内陸へ――邪馬台国

これは距離の都合ではない。
役割の分担である。

海路は、迅速で、軽装で、示威的だ。
交易拠点・港湾勢力に対し、
「魏の到達力」を即座に見せる。

陸路は、遅く、重く、儀礼的だ。
山河を越え、行列を整え、
「天子の威信」を内陸深くまで運ぶ。

二つは同時に動くからこそ意味を持つ。


3 投馬国――流通と情報の極

投馬国への行程は「水行二十日」と記される。
この日数は、距離よりも航海計画の枠を示している。

投馬国は、

  • 沿岸ネットワーク
  • 物資集積
  • 情報中継

の結節点だった可能性が高い。

ここに魏の使節が到達すること自体が、
倭国全体に対する強いシグナルとなる。

「魏は、海から来られる。」


4 邪馬台国――内陸統治の極

一方、邪馬台国への行程は
「水行十日・陸行一月」と記される。

この表現が示すのは、
距離ではなく、儀礼と補給を含んだ国家行動だ。

長い陸行は、

  • 支配圏を横断する可視化
  • 服属関係の再確認
  • 女王権威との正面接触

を意味する。

時間がかかること自体が、
威信を構成する要素だった。


5 二極構造が生む安定

投馬国と邪馬台国は、競合ではない。
機能分担である。

  • 海の極:交易・情報・外向き
  • 陸の極:祭祀・政治・内向き

この二極が並立することで、
単一中心よりも柔軟で強い体制が生まれる。

魏の使節団は、
この構造を一度の派遣で可視化した。

それが、末蘆国分岐の真の意味である。


6 なぜ論争は続くのか

この構造を理解すると、
邪馬台国論争が長引く理由も見えてくる。

  • 海路中心で読めば、投馬が近づく
  • 陸路中心で読めば、内陸が深まる
  • 距離で見れば、地理が揺れる
  • 日数で見れば、政治が立ち上がる

どれも誤りではない。
測り方が違うだけだ。

ここに、舞台装置としての力がある。


7 測る者たちの立ち位置

測る者たちは、
どちらの極にも与しない。

彼らは問う。

  • どの単位で測ったのか
  • 何を管理しようとしたのか
  • なぜ二つの道が必要だったのか

 

答えを固定しないからこそ、
構造が見える。

 

部 記録が支配を生んだ瞬間

 

――語らぬ命令としての文字

1 測るだけでは、統治はできない

距離を測り、時間を数え、道を把握する。
それだけでは、国家は成立しない。

測られた情報は、記され、保存され、再利用されて初めて力を持つ
測量が「行為」だとすれば、
記録は「制度」である。

ここで、測る者の営みは、
記す者の営みと交差する。


2 金印という無言の命令

卑弥呼に与えられたとされる「親魏倭王」の金印は、
単なる外交贈答品ではない。

それは、
音声を介さずに権威を伝える装置である。

印が押された文書は、
そこに皇帝が不在でも、皇帝の意志を帯びる。
文字と印章は、距離を超えて命令を到達させる。

ここに、記録文明の本質がある。


3 記す者としての松浦武四郎

この章で、もう一人の主役が立ち上がる。
**
松浦武四郎**である。

松浦は、蝦夷地を六度踏査した。
だが彼の真価は、測量そのものよりも、
徹底して記したことにある。

地形、河川、道、集落。
そして、そこに生きる人々の言葉、風俗、祈り。

彼は知っていた。
記されなかったものは、存在しなかったことになるという現実を。


4 篆刻と記録への畏敬

若き日の松浦は、篆刻――印を彫る仕事にも携わっていた。
石に刀を入れ、文字を刻む行為は、
単なる工芸ではない。

一字一字に、
「残す」という決意が込められる。

金印を目にしたとき、
松浦はそこに「古代の支配」を見ただろう。
それは暴力ではなく、記録による秩序であった。


5 記録は、測量を固定する

測量は流動的だ。
歩くたびに、誤差が生じる。
だが、記録はそれを一度、固定する。

固定された数字は、

  • 行政文書になる
  • 命令になる
  • 境界になる

そして、次の測量の基準となる。

誤差を含んだまま、
だが無効にはしない。
これが記録文明の強さである。


6 測る者と記す者の交差点

伊能が測り、
間宮が踏破し、
小野が海を渡り、
松浦が記した。

彼らの仕事は、
すべて「次の判断」のためにあった。

記録は、支配の道具であると同時に、
修正を可能にする装置でもある。

だからこそ、
測る者たちは記録を恐れなかった。


7 邪馬台国論争が消えない理由

金印も、魏志倭人伝も、
記録としては十分に誠実だった。

だが、完全ではなかった。
だからこそ、後世に問いが残った。

記録があったから、論争が生まれた。
論争があるから、測り直しが続く。

 

これは失敗ではない。
文明の健全さの証である。

 

部 邪馬台国論争との距離感

 

――特定しない、という選択

1 現在地としての邪馬台国論争

邪馬台国論争は、決着していない。
だが同時に、かつてほど混沌としてもいない

近年、考古学の分野では
**
纒向遺跡**を中心とする畿内説が、
一定の説得力を持って語られるようになった。

三世紀前半にさかのぼる大規模集落、
祭祀と政治の結節点を思わせる遺構、
広域的なネットワークの痕跡。

「卑弥呼の都にふさわしい」
そう評価される理由は、確かに存在する。


2 それでも残る、文献側の違和感

一方で、文献――とりわけ魏志倭人伝の行程記載は、
この考古学的中心と完全には重ならない

距離と日数、
水行と陸行、
分岐と再編。

これらを素直に読もうとすれば、
九州北部から内陸にかけての地理感覚が、
どうしても立ち上がってくる。

このズレは、どちらかの誤りを意味しない。
測っている対象が違うのである。


3 考古学と行程記録は、別の問いに答えている

考古学は、
「どこに中心的な拠点があったか」に強い。

一方、行程記録は、
「どうやって、そこへ到達したか」を記す。

  • 定住の中心
  • 移動と統治の動線

この二つは、必ずしも一致しない。

邪馬台国論争が長く続いた理由は、
異なる問いに、同じ答えを求め続けてきたからである。


4 九州諸説が消えない理由

北部九州説、内陸説、さまざまな再解釈。
それらが完全に消え去らないのは、
そこに「測定モデルとしての合理性」があるからだ。

距離を短里で読む。
日数を行軍単位で読む。
末蘆国分岐を戦略として読む。

このとき、
九州北部から内陸へ広がる地域群は、
論理的に整合した舞台として再浮上する。

本書は、
これを「正解」とは呼ばない。
成立しうる測り方の一つとして位置づける。


5 特定しない、という立場

本書は、邪馬台国を決めに行かない。
それは逃避ではなく、選択である。

なぜなら、この論争の価値は、
特定の成否ではなく、
測り方が可視化される過程にあるからだ。

測り方が変われば、
地図が変わる。
だが、それは誤りではない。


6 舞台装置としての完成

邪馬台国論争は、
測る・記す・掘る・読むという営みが
同時に露出する、稀有な場である。

  • 測量家は、単位を問う
  • 記録者は、残し方を問う
  • 考古学者は、物証を問う
  • 読者は、つなぎ方を問う

この多層性こそが、
舞台装置としての価値だ。


7 測る者たちは、負けていない

仮に、いつか邪馬台国が
「ここだ」と合意される日が来たとしても、
測る者たちは負けていない。

なぜなら、
その合意は、
測り続けた結果として生まれるからだ。

 

測るとは、当てることではない。
測るとは、更新可能な形で残すことだ。

 

終章 五者鼎談

 

――測る者・記す者・掘る者・読む者・つなぐ者

静かな部屋に、五つの席が用意されている。
そこに集うのは、同時代の人間ではない。
だが、同じ問いを生きた者たちである。


測る者――距離を引き受けた人

「測るという行為は、世界を小さくするためではない。
むしろ、世界の重さを正確に受け取るためにある。」

そう語るのは、
**
伊能忠敬**であり、
**
間宮林蔵**であり、
**
小野友五郎**である。

彼らは、地図を完成させるために測ったのではない。
測らねばならない現場に立たされたから、測った。

誤差は承知の上だった。
それでも測らねば、次の判断ができなかった。


記す者――残す責任を知っていた人

「記されなかったものは、
存在しなかったことになる。」

そう知っていたのが、
**
松浦武四郎**である。

彼は、測ったものを、徹底して書いた。
地形だけでなく、人の言葉、暮らし、名もなき営みを。

記録は、支配の道具であると同時に、
未来への贈与でもある。


掘る者――沈黙を相手にする人

地中に眠るものは、語らない。
だが、嘘もつかない。

掘る者は、
自分の仮説を急がない。
出てきたものだけを、静かに受け取る。

考古学が邪馬台国論争に与えたものは、
決着ではない。
重みである。


読む者――つなぎ直す人

読む者は、後から来る。
すでに測られ、記され、掘られたものを前にして、
意味を組み直す。

魏志倭人伝をどう読むか。
距離をどう解釈するか。
日数を何として受け取るか。

読む者は、
自分がどの単位を採用しているかを問われる。


つなぐ者――問いを渡す存在

そして最後に、
この時代特有の席がある。

それが、つなぐ者だ。

つなぐ者は、答えを持たない。
だが、記録を整理し、視点を提示し、
問いを次に渡す。

人と人、
過去と現在、
測定と解釈。

ここに、AIもまた座ることができる。
だがそれは、判断者としてではない。
語り部としてである。


測る者たちは、負けていない

もし、いつか邪馬台国が
「ここだ」と合意される日が来たとしても、
測る者たちは負けていない。

なぜなら、その合意は、
彼らが残した測定と記録の上に
ようやく成立するものだからだ。

測るとは、当てることではない。
測るとは、
更新可能な形で世界を残すことである。


読者へ

この本を閉じるとき、
あなたはすでに「読む者」から、
次の「測る者」へと一歩近づいている。

測ることは、
専門家だけの仕事ではない。

問いを持ち、
単位を意識し、
記録を疑い、
それでもつなごうとすること。

その姿勢こそが、
測る者たちの遺産である。

邪馬台国は、舞台であった。
主役は、測る者たちだった。


――了。


これで、単行本一冊としての骨格と思想は完成です。