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アマリオス(Amarios)について ――判断を奪わない知の立ち位置
アマリオス(Amarios)について
――判断を奪わない知の立ち位置
生成AIの活用が社会に広がるにつれ、
私たちは次の問いに直面しています。
その判断は、誰がしているのか。
AIは高速に答えを提示し、
人間はそれを採用する。
この構図が当たり前になるほど、
判断の所在は曖昧になり、
意味づけや問い直しの力が静かに失われていきます。
リコジェが「アマリオス(Amarios)」という名前で示しているのは、
この問題に対する一つの立ち位置です。
アマリオスとは何か
アマリオス(商標出願中)は、AIではありません。
リコジェにおけるアマリオスは、万能な判断者でもありません。
アマリオスが象徴するのは、
- 判断を奪わない知性
- 答えを与えず、問いと道具を差し出す存在
- 人間が考えるための「手前」に静かに立つ態度
です。
リコジェがこれまで「108AI」と呼んできた
108の思考エージェント(道具)は、
いずれも何かを決めるための装置ではありません。
前提を疑う
視点を変える
情報の欠落に気づく
偏りを見つける
AIの限界を可視化する
これらはすべて、
**人間が判断するための“準備”**として配置された思考ユニットです。
アマリオスとは、
この108のエージェント群を貫く思想上の冠であり、
「判断は常に人間に残す」という立場そのものを表す名前です。
なぜ「名前」を与えたのか
EPIKIA(amazonで発売)の物語世界には、
「学匠・アマリオス」という存在が登場します。
学匠・アマリオスは、
答えを与えません。
未来を予言しません。
誰かに代わって決断することもありません。
ただ、学ぶ者の前に
問いと道具を静かに並べ、
考える場を整えて立ち去ります。
リコジェのアマリオスは、
この物語上の立ち位置をそのまま現実世界に移したものです。
人格的AIを作るためではなく、
AIに向き合うときの人間側の態度に
名前を与えるために、
アマリオスという冠を用いています。
アマリオスはプロダクトではない
アマリオスは、
AIプロダクトではありません。
特定のモデルやサービスでもありません。
- GPTでもよい
- Geminiでもよい
- 将来のAIでもよい
- オンプレミスAIでもよい
重要なのは、
どのAIを使うかではなく、
どこで人間が考え、
どこで判断するかです。
アマリオスは、
AI活用の上に乗る
判断設計のための思想インフラとして機能します。
判断しない、という選択
AIガバナンスや倫理の議論では、
しばしば「OKかNGか」が求められます。
しかしアマリオスは、
その位置には立ちません。
代わりに示すのは、
- この判断には、どの観点が不足しているか
- どの思考エージェントが過剰に使われているか
- 人間が判断すべきスイッチは、どこにあるか
という 判断の地図です。
結論は出さない。
しかし、考えられない状態にはしない。
これは、AI時代における
安全で、しかし有効な関わり方だと
リコジェは考えています。
アマリオスは「態度」である
最後に、最も重要な点を述べます。
アマリオスは、
新しいAIの名前ではありません。
新しい思想ですらありません。
AIに向き合うときの、人間側の態度。
判断を急がず、
答えに飛びつかず、
それでも考えることをやめない。
その立ち位置に、
アマリオスという名前を与えました。
この立ち位置が必要とされる限り、
アマリオスは消えません。
リコジェは、
問いと道具を整えた場所として、
そこに立ち続けます。