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2025-12-28 05:05:00

語られなかった女王の物語 ―― EPIKIAという思考実験 ――

語られなかった女王の物語
―― EPIKIA
という思考実験 ――

―― EPIKIA構想における「空白の女王」の意味 ――

卑弥呼という名は、現代においてもしばしば比喩として用いられる。
強いカリスマ、神秘的な統治者、あるいは「一人の判断が全体を動かす存在」。
その分かりやすさゆえに、卑弥呼は繰り返し語られてきた。

しかし、その分かりやすさこそが、問いを生む。

卑弥呼は、中国史書『魏志倭人伝』に登場するが、日本側の史料にはほとんど痕跡を残していない。
しかも、その死後を継いだ女王――壱与(台与)については、さらに語られない。
なぜ、後継者は歴史の前面から姿を消したのか。

EPIKIAは、この問いを史実の解釈としてではなく、物語という形式をとった思考実験として扱う。
中国史書に残された「空白」を、想像力で埋めるのではなく、
「なぜ空白が必要だったのか」を考えるための物語である。

卑弥呼は、強い象徴だった。
しかし象徴が強すぎると、その後に続く制度や知は見えにくくなる。
壱与という存在が神話化されず、歴史の陰に退いたのは、
個人のカリスマから、継承可能な秩序へと移行するためだった――
EPIKIA
では、そのように仮定する。

この構図は、現代社会とも重なる。
私たちはしばしば、分かりやすい「象徴」や「顔のある判断者」を求める。
だが本当に社会を支えるのは、
特定の個人ではなく、知の共有、判断の分散、そして次へ渡せる仕組みである。

生成AIの時代においても同じだ。
強力なAIを「新たな卑弥呼」のように扱う誘惑は常にある。
しかし、AIを象徴にしてしまえば、人間の判断はかえって弱くなる。
必要なのは、カリスマではなく、判断を支える構造である。

EPIKIAが描くのは、
語られすぎた女王ではなく、語られなかった時代だ。
そしてその沈黙の中に、
「人間がどのように知を継承し、判断を手放さずにきたのか」という問いを置いている。

この物語は、過去を正すためのものではない。
現代の私たちが、なぜ特定の比喩に惹かれてしまうのか――
その思考の癖を、静かに照らし出すための試みである。