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日本版108AIの植物たち、アメリカ版108AIの植物たち ―― 文化に合わせて「思考の入口」を変えるという設計
日本版108AIの植物たち、アメリカ版108AIの植物たち
―― 文化に合わせて「思考の入口」を変えるという設計
生成AIの説明や教育では、
ロボットや動物、あるいは人格化されたキャラクターが
比喩として使われることが少なくありません。
しかし、リコジェが提唱する 108AI は、
AIを「判断主体」にしない設計思想を一貫して採用しています。
AIはあくまで 人間の判断を支援するための思考エージェントであり、
最終的な判断と責任は常に人間にあります。
この思想を、より安全に、より直感的に伝える方法として、
私たちは 植物 に着目しました。
植物は、判断しない
植物は動きません。
命令もしません。
正解も示しません。
それでも、
環境に適応し、
役割を保ち、
長い時間を生き抜いてきました。
この「動かず、語らず、しかし性質を示し続ける存在」は、
108AIが目指す
役割限定・判断非代行のAI像と非常に相性が良いと考えています。
日本版108AIの植物たち
日本版では、
野・山・里に生きる植物を中心に、
四季の移ろいや土地との関係性を重視します。
語り口は控えめで、
「こう言えるかもしれない」
「このような傾向が見られる」
といった、断定しない表現が自然に馴染みます。
これは、
関係性や文脈を大切にする日本の思考文化と重なります。
アメリカ版108AIの植物たち
一方、アメリカ版では、
大陸規模の環境――
草原、砂漠、山岳、国立公園――に生きる植物を軸にします。
こちらでは、
「この植物は乾燥に強い」
「資源を一点に集中させる」
といった、機能や適応戦略が明確に語られます。
これは、
課題解決や実践を重視する思考文化と親和性があります。
重要なのは「中身は同じ」だということ
日本版とアメリカ版で、
108AIそのものが変わるわけではありません。
- 道具の構造
- 役割の限定
- できること/できないこと
- 判断は人間が行うという原則
これらは 完全に共通 です。
変わるのは、
思考に入るための入口(インターフェース) だけです。
文化に合わせて「仮面」を変える
108AIにおける植物キャラクターは、
人格ではありません。
主体でもありません。
それは、
文化に合わせた説明のための仮面にすぎません。
同じ思考道具を、
日本では日本の植物で、
アメリカではアメリカの植物で語る。
この並列構造こそが、
108AIが文化を超えて壊れにくい理由でもあります。
ローカルから始めて、世界へ
日本版108AIの植物たち。
アメリカ版108AIの植物たち。
これは対立でも競争でもありません。
同一の思考インフラを、異なる文化で照らしているだけです。
ローカルに深く根ざしながら、
同時にグローバルに開かれている。
108AIは、そのような形で
少しずつ育っていけばよいと考えています。