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2025-12-23 08:47:00
論語を、AI時代にもう一度読む理由 ――「答えの書」ではなく、「判断の書」として
論語を、AI時代にもう一度読む理由
――「答えの書」ではなく、「判断の書」として
**論語**は、
不思議な書物です。
何度も引用され、
何度も「解説」され、
それでも――
はっきりした答えを与えてくれない。
孔子(孔子)は、
こうすべきだ、と命じません。
正解を示すことも、行動を強制することもありません。
残されているのは、
短い言葉と、沈黙と、判断の余白です。
AIが「答え」を出す時代に、論語を読む意味
生成AIは、
もっともらしい答えを、いくらでも出してくれます。
便利です。速いです。
ときに、人間よりも賢く見える。
けれど――
その答えを「採用するかどうか」を決める力は、
どこで鍛えればよいのでしょうか。
論語は、まさにそこを扱っています。
- 学ぶだけでは危うい
- 考えるだけでも危うい
- 判断を放棄した瞬間、人は迷う
これは2000年前の言葉ですが、
AI時代の私たちに、そのまま当てはまります。
論語×108AIという読み方
本ブログでは、論語の章句を
「108AI」――判断を支援する108の思考道具を使って読み直します。
ここでAIは、
答えを出す存在ではありません。
論語も、
答えを教える書ではありません。
両者を重ねると、
一つの共通点が浮かび上がります。
最終判断は、常に人間に委ねられている
論語×108AIとは、
古典解説でも、AI入門でもありません。
「判断する力」を取り戻すための、
現代の読み直しです。
まずは、三つの章句から
このシリーズでは、
論語の中から章句を一つ選び、
- 現代語訳
- 108AI的な読み替え
- AI時代への翻訳
- 読者への問い
という形で読み解いていきます。
最初に扱うのは、
「学ぶ」「治める」「身を置く」という、
人間の判断を支える三つの場面です。
答えは、用意しません。
代わりに、問いを残します。
――論語は、
読むたびに「考えさせる書物」なのですから。
論語*108AIで、書籍化の予定です。