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AIエージェントは「便利な自動化」か、それとも「判断の委譲装置」か
AIエージェントは「便利な自動化」か、それとも「判断の委譲装置」か
――108AICG的観点から読むAIエージェント論
生成AIの進化により、「AIエージェント」という言葉が現実味を帯びてきた。
ITmedia ビジネスONLINEに掲載された、日本マイクロソフト エバンジェリスト 業務執行役員・西脇資哲氏の発言は、その可能性を端的に示している
20251216 エージェント
。
本稿では、このAIエージェント論を、**108AICG(108AIカードゲーム)**の思想――
すなわち「AIは判断主体ではなく、思考の道具である」という原則から読み解く。
1. 記事の要点整理:AIは「やってもらう存在」へ
記事で繰り返し強調されているのは、
AIは調べる存在から、行動する存在へ移行しているという点である。
- 見積もりを比較する
- 最安値を選ぶ
- 発注まで行う
- 翻訳・資料作成を自律的に完了する
これらは単なる補助ではなく、
業務プロセスの一部をAIに委ねる構造を示している。
西脇氏はこれを
「AIエージェントにお願いすべき仕事」
と表現している。
2. 108AICGの視点①
「行動の自動化」と「判断の所在」は別問題である
108AICGでは、AI活用において常に次の問いを立てる。
最終的に判断しているのは誰か?
AIエージェントが
- 比較する
- 選ぶ
- 実行する
という一連の行為を担ったとき、
それは「作業の代行」なのか、それとも「判断の委譲」なのか。
記事では、
「時間とお金を得られるからAIに任せるべきだ」
という経営合理性が強調される。
しかし108AICG的には、ここに重要な分岐点がある。
- 判断基準は誰が決めたのか
- 例外処理は誰が考えるのか
- 失敗の責任は誰が負うのか
AIエージェントは便利であるほど、
人間の判断プロセスを不可視化する危険を内包する。
3. 108AICGの視点②
「AIを同僚として扱う」発想の危うさ
記事後半では、AIエージェントを
「同僚として信頼する」
という比喩が用いられている。
- IDを付与する
- 監査対象にする
- 発言・行動を管理する
これは一見、責任ある運用に見える。
しかし108AICGの立場では、ここに注意が必要だ。
AIを同僚に見立てた瞬間、
人間は無意識に判断を預け始める。
108AICGが一貫して避けてきたのは、
- AIを主体化すること
- 判断の重心をAI側に置くこと
AIは「人格」でも「意思決定主体」でもない。
あくまで 思考を外在化するための道具である。
4. 108AICGの視点③
本当に重要なのは「どこで止まれるか」
AIエージェントが数分で完了する作業を、
人間が数時間かけて行う――
それ自体は否定されるべきではない。
108AICGが問うのは、次の一点である。
人間は、AIに任せた結果を
どこで、どのように疑い、立ち止まれるか
- なぜその最安値なのか
- なぜその翻訳表現なのか
- なぜその契約条件なのか
この「立ち止まり点」を設計しない限り、
AIエージェントは思考を短絡させる装置になりかねない。
5. 結論:AIエージェント時代に必要なのは「判断の設計」
本記事は、AIエージェントがもたらす
業務効率・経営合理性を的確に描いている。
その一方で、108AICGの視点から見ると、
次の問いが浮かび上がる。
- AIはどこまで「やってよい」のか
- 人間はどこで「考え直す」のか
- 判断の責任はどこに残るのか
108AICGは、AIを否定しない。
むしろ積極的に使う。
ただし、判断を奪わない形で使う。
AIエージェント時代に本当に必要なのは、
高度な自動化技術ではなく、
人間側の判断設計力である。
それを育てるための装置として、
108AICGは存在している。
※本稿は、ITmedia ビジネスONLINE掲載記事を参考に、
108AICG(株式会社リコジェ)の思想に基づき再構成した論考である
20251216 エージェント