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AI時代に再評価される“昔の国立大学入試”という知のシステム
AI時代に再評価される“昔の国立大学入試”という知のシステム
――文理融合が求められる今こそ、過去の教育モデルを振り返る
日本では近年、文系学部の縮小や理工系強化の政策が次々と打ち出されている。
大学改革の議論でも「実学の重視」「データサイエンスの必修化」が盛んに語られ、
文系領域はしばしば「非生産的」「役に立ちにくい」といった誤解も受けるようになった。
しかし、AIが社会のあらゆる領域に浸透し始めた現在、
文系・理系という二分法そのものが時代に合わなくなりつつある。
むしろ、AIの仕組みや問題点を理解するには、
歴史・哲学・倫理・心理・社会構造の深い理解が欠かせない。
世界のAI研究機関が文系出身者を積極的に採用し、
哲学者や心理学者がAI開発チームに参加している現実は、
その象徴と言えるだろう。
こうした状況を見ると、私はふと、ある“過去の制度”を思い出す。
■ 昔の国立大学入試は「文理融合」の入口だった
かつての国立大学入試は、
文系・理系のいずれを志望しても、広範囲の科目を学ぶことが前提だった。
- 文系:国語・数学・英語+社会2科目+理科1科目
- 理系:国語・数学・英語+理科2科目+社会1科目
最低でも5〜7科目を受験する、極めて負荷の高い試験制度である。
一見すると「効率が悪い」「専門性と無関係」と思われるかもしれないが、
実はこれは非常に優れた教育モデルだった。
文系であっても数理的思考を避けられず、
理系であっても社会や歴史の知識から逃げられない。
結果として、多角的なものの見方を持つ学生が育っていた。
この仕組みは、まさに文理融合の入り口であり、
AI時代に不可欠となる「総合知」を自然に形成する環境だったと言える。
■ AIが扱うのは「社会・文化・言語」であり、理系だけでは理解できない
AIは数学の延長にある技術と思われがちだが、
GPTに代表される大規模言語モデルが対象としているのは、
データではなく 人間の言語・文化・思考・価値観 である。
そのためAIの問題の多くは、理系の枠組みでは扱い切れない。
- AIが嘘をつくように見える理由
- バイアスが生まれる仕組み
- 倫理的な境界線
- 社会への影響と制度設計
- 人間とAIの共存モデル
これらはすべて、文学・歴史・心理・哲学・法学といった
文系の蓄積に支えられた問題領域である。
従って、文系の弱体化は
「AIを理解し、社会に適切に組み込む力の弱体化」
にも直結してしまう。
■ 文系縮小は本当に正しい方向なのか
日本が進めつつある文系縮小政策は、
AI時代の国際的潮流としばしば矛盾している。
欧米の大学ではむしろ、
理系教育の中に哲学・倫理・社会科学を統合する動きが加速している。
AI倫理、AIガバナンス、社会実装研究は、
文系の専門家なしには成立しないからだ。
AIが社会に深く浸透すればするほど、
技術だけでなく「人間とは何か」を理解した人材が必要になる。
文系の知は、未来の社会基盤の一部である。
■ 昔の国立入試は、AI時代の要請に先んじていた
そう考えると、
かつての多数科目型の国立大学入試は、
時代を先取りしていた教育モデルだったと言える。
広い知識を持ち、
異なる視点を切り替え、
単一の正解に依存せず、
複雑な社会を理解する土台を持つ──。
こうした“総合知”こそ、
AI時代の人材に求められている能力に他ならない。
専門化を進めすぎる前に、
日本はもう一度「知の幅」を持つ教育の価値を見直すべきなのかもしれない。
■ 結びに
AIが決定や判断を補助する時代には、
人間側がより高度な「理解能力」を持たなければならない。
文系・理系という区分はもはや意味を失いつつあり、
多様な知を横断できる人材が最も強くなる。
昔の国立大学入試を振り返ることは、
未来の教育の姿を考える上で有益なヒントとなるだろう。